最高の夏が来る。気がする。
ブラジルにキューバにマンデリン。
浅、中、中深と煎り、‘中と中深の間に2段階’の煎り止めを行う。
修行始めにその話を聞いたときは、
「んなこと出来るわけがねえでがしょッ!!」と思っていた俺も、
今では図太くも「んなこと簡単に出来るに決まっている!!」
つう感じで、真剣にバッチリ決められるようになった。
頭の中はもう次のラストステップ、
ブレンド作りに気持ちが向かってしまっている。
そこからだ、本当の焙煎は。味作りは。楽しみだ。
そして、少しばかり不安だ。
一人のピアノマンに誘われ、代官山のライブハウスに出向く。
ジャズパンクバンド‘勝手にしやがれ’の15th誕生祭。
彼に出会ったのはいつ頃だろうか?
飲んで旅して共に作品創って、それを肴にまた飲んで。
同じ町に住んで飲んで、飲んで毎回ゲロ後悔して。
忘れた頃に繰り返して。青春だな~と彼に会うといつも思う。
なんだか年経るごとにいいしゃがれ具合になっていて、
今回のライブのラストを飾った新曲なんて、
俺はこういう歌謡曲路線は逆に渋いゼなんて感じている。
今のこんな、ブレまくりのさえない時代だからこそ、
バンドのぶれない核みたいな曲が表現出来ているんじゃないだろうか。
「続けることこそ正義である。」と、今は思える俺なのです。
評価が先にあるんじゃない。
「お前がコーヒー屋やっても、‘へえ頑張ってな~’とかしか言わないぜ。」
「お前が島に行ったらおしまいだ。もうそこから何かを表現することは出来ない。」
とかね、何を言われても俺は屁とも思わない性格をしているのだけど。
「どうせ今にお前も分かる日が来るぜ。戦い方は一つじゃないんだ。」
と今では堂々と、胸も張らずに自然と言えちゃう気がする俺なのです。
哲学ちゅうやつは、結果を求めてやるものじゃない。
始めから当たり前にそこにあるものなんだ。
それに気付くか気付かないか、やるのかやらないか。
まあ気付いたら、やる以外ないわけだけど。
なんて訳分からない禅問答みたいな話を、出来そうな、
これまた訳の分からないエセ坊主みたいなヒモ男が一人。
遊べる本屋‘ヴィレッジヴァンガード’の店長を歴任して来た男もライブを観戦。
この男もついに独り、道を外れ、己の道を歩き始めてくれたわけで。
近いうちに‘座禅と木魚とお団子’の店を横浜でやるようだ。シュールすぎる。
(っていや、何の店やるかは教えてくれないから勝手に書いてみた。)
近々こいつら2人と飲む宴は超熱くなるつもりなので、
いやはやこれは本当に楽しい夏の始まりになる予感がしている。
その男、T佐がとても衝撃的なことをライブ中に言ってくれた。
「俺さあ、珈琲なんて全然興味なかったんだけど、
‘陽のあたる道’で珈琲飲んでから、なんか興味持ち出して、
他でも色々飲むようになったけど、いや‘陽のあたる道’の珈琲は凄いよ。
あのサッパリしているのに、しっかりコクのある珈琲の美味しさは他にはないよ。」
!!
そ、そうなんだよ。
や、やっぱり分かるよな!!
だから言っているんだよ、俺は。
「コーヒーの存在はみんな知っているのに、
珈琲の本当の味わいはほとんど知られていないんだ!!」
って。
本当にそうなんだよ。
そこには個人でしか出来ない手間隙が掛けてあって。
ゆえに個人である俺は、勝機があるって感じているんだ。
勝機というか、チッポケな個人が、それでも誇り高く生きていける、
隙間があるはずだって強く思っているわけだ。
これが正しいか正しくないかは、
まあこの先生きていけば分かる。
チッポケで良い。誇り高く生きていければ。
きっとこれが俺の終生変わらぬ哲学なんだろう。
いや必ず宿す。宿らない珈琲は珈琲ではないから。
珈琲は個人しか鳴らせないものなんだ。宿命的に。
いやでも本当に嬉しかったね、超驚いたね、
I飼さんの珈琲が、一人の人間の珈琲観を変えたわけだから。
ささいな一杯の珈琲の、気高さの証明なのだ。
ささいな革命。これでいいのだ。
さて。
焙煎修行仲間の先輩Y口さんとの、
焙煎修行が今回で終わると、前回エントリしたが、
Y口さんの門出を祝して、中米研修仲間で集まることになり、
もう一度一緒にラスト焙煎が出来ることになった。
これこそが我らが大師匠&先生の粋な計らいである。
こういう場に自分が個人として属していることがとても嬉しい。
俺の人生ももしかしたら間違っていなかったのかもしれない。
そうなるように今後も真面目に頑張りたい。
俺も珈琲焙煎道の深みを行くぜ。
腕と心を昂ぶらせながら行くんだぜ。