黒に聞け。
一番衝撃が大きかったのが、‘黒’の課題。
(何の黒かは一応内緒にしておく。)
店舗の職人さんに、その課題を提示されたとき、
私と相方さんは「凄い!最高‼クール‼」だと即座に反応した。
私と相方さんは普段の感性は真逆に近い。陰と陽の如く。
それがこの時ばかりは違った。
その出された‘黒’の課題。
それをこの1ヶ月出会った友人たちに、同じように提示してみた。
これが不思議と無言が多い。「う~ん、黒か・・・。」
言葉を濁すあの感じ。
臆病で、人の反応を気にしてしまう、私は思った。
「そうか、黒って、やっぱりあんまりイメージ良くないものだもんね。」
相方さんに、そんな弱音をボソボソ吐くと、彼女はこう言った。
「ええんや!黒で‼オレはもう腹括っとるわい‼」
「黒の使い方が目を惹くよ。何かヒントになるかも知れない。」
彼は何事に対しても造詣が深いが、特にARTに対する態度が素敵である。
適切な論理やシステムを構築する仕事だからこそ、その事前作業として、
心の空を揺さぶる、ART作品に触れることは必要なんだ、と彼は言った。
ブレない芯を築くために、常にユラして、己の心を確かめておくわけだ。
・・・さて先日、その展示会に行きまして。
‘黒’のイメージを浮かべながら、
(生命、静寂、強調、宿命、喪服、黒船、異界、宇宙。)
独りでぐるぐるぐると、絵を見て廻った。
宇宙は黒いから、生命体のように見える。
仏像や木彫りは、陰影によって、いのちが与えられる。
ジャン・フォートリエは‘黒’によって、生命の存在を強調した。
儚く殺されていく、人間存在への賛歌であり、運命への怒りだ。
思えば、岡本太郎の作品の‘黒’もとっても印象的だ。
抽象的なイメージを、黒により、生命体として存在させている。
激しい感情、怒りが、倫理として、噴出している、確たる信念の絵だ。
ジャン・フォートリエの画は、晩年に向かって、色鮮やかに解放されていく。
こういう描き方は、日本人はあまりしない。
日本人は心の解放を、何か形あるモノに託すものだから。
何を信じるのか、自己か周辺か、その違いがはっきり出てくる。
心に形を、存在を与える色として、‘黒’はとても重要だ。
‘黒’とは限りなく、日本人的な色彩なのかもしれない。
日本人は、‘黒’に光を見る、霊妙な民族なのだと思う。
ちなみに‘黒’の話で、Nと話題に出たのが、千利休。
‘黒’でもって、それまでの茶の価値観をひっくり返した人間。
侘び、寂びという価値・文化を、‘黒’でもって創作したのだった。
‘黒’とARTは密接だ。
‘黒’とは、今ある価値観と闘う色。
作り手が何かと闘う時、‘黒’は力を発揮する。
リスキーな色だから、ゆえに渋くて痺れるわけだ。
‘黒’でぶつかる方々と、
今後も共に行くのだと、
そう結論した。