ベルリナ農園は1904年に設立され、
再来年には110周年となる伝統ある名門農園である。
広大な土地、山に挟まれた盆地で朝陽に照らされた農園を眺める。


柔らかい朝陽が当たるため、上品な珈琲豆が出来上がり、
逆に手前側の斜面では、コク・ボディのある珈琲豆が出来上がる。
陽の当たり方によってそれだけ味わいが変わる。
一番上の写真の左下に小さく見える、小さな精製場のあるロッジに向かう。
荒く急な坂道をジープでガタガタガタと下っていく。
運転はもちろんマリア・ルイス博士。
悲鳴を上げる軟弱な俺。




一つ一つ懇切丁寧に説明しようと、伝えようとしてくれる。


農園主ドン・プリニオさん。90歳を超えてこの精悍さ。
自分も常に体を動かし、手仕事を続ける生き様に徹して生きていきたい。

剪定の仕方も常に手を変え品を変え、様々な観点より研究を続けている。
それだけ品質を保持していくのは大変なことなのだ。
このような研究の成果は20年後に分かるとのこと。
自然との会話によって、自然共存の道を選ぶとはそういうことで、
20年が1サイクル、これは農業の基本的なサイクルでもあるらしい。
ルイスさんが40年、
珈琲に携わって分かったことは、
「珈琲の仕事とは、次の世代に伝えること。子孫に残していくこと。」
「自分の時代にその成果は出ない。」
「でも、信念を持って続けていけば自分の後を継いでくれる人が必ず現れる。」
「自分の仕事を大事に進めていけば自分の人生に必要な人が現れる。
だから未来を心配することはない。人生にはそういうハーモニー(調和)がある。
ハーモニーを感じる人が現れる。そういうことを信じられるようになった。」
「高品質を突き詰めていくことが自分の人生の役目だと気付かされた。
気付かせてくれた2人の内の1人が田口さんだ。」
ルイスさんは本当に厳しい顔もするし、
めちゃくちゃキュートな可愛らしい顔もする。
その心の奥には生きることへの絶えない感謝があるのだと思う。
国は違えど信念を共にし支え合い切磋琢磨し続けてきた、
田口先生とルイスさんの友情が心に沁みた。




花の香りだけでもその品種の区別はつく。
が、今の日本の珈琲界のお偉いさんでもその区別さえつかない人がいる。
これはとっても恥ずかしいことだ。それでは農園との交渉は出来ない、
とは先生の弁。





カッピングルームは整理整頓の利いた、とても静謐な空間。
恐れ多くてパシャパシャ写真を撮る気持ちになれない。
ルイスさんが様々な趣向を凝らした珈琲サンプルの数々。
商品化はまだされていない研究中の珈琲サンプル。
我々は一歩引き、田口先生の真剣勝負を見守る。
その後我々もカッピング。
ルイスさんの繊細さ上品さ冒険心の表れた、
香り・酸味・コク・ボディと、バランスの良い情緒豊かな珈琲を味わった。
ルイスさんの目指す珈琲ははっきりしているのだと感じた。
とにかくちょっと他では飲んだことのない代物だった。
最後に「これは何でしょう?」とサプライズプレゼントしてくれたのは、
なんと干した珈琲の実の果肉(通常は肥料にする)で作った、
紅茶のような飲み物。紅茶というより、ワインに近いかな。
コーヒーの実の豊潤さを証明するが如く、ふんわりとした余韻に浸った。
これは新商品とのことでお土産にももらったのだが、この新しい挑戦は、
さらに沢山の人に珈琲に興味を持ってもらう入り口となるだろう。
女性的でオシャレで斬新な切り口だと、とても心に残った。
(※ちなみに、ベルリナ農園はカフェも経営していて、
そこは観光客で常にいっぱい。ミネラルウォーターも販売している。
珈琲産業の出来る能力フル発揮で無駄がない。)

キュートなベルリナ農園の皆様ともサヨナラとなった。
ボケテの空港まで送って頂き、国内線でパナマシティに向かう。
ドンパチさんとも日本での夏の再会までサヨナラとなる。
中米に来て、その思いをさらに強くしたのだが、
珈琲(香り、味わい、コク、ボディ)の可能性は無限大で、
その素晴らしさはまだまだほんのわずかな人にしか知られていない。
田口先生のお蔭様で、最先端で最高級の珈琲を味わうことができる。
この経験を自分の味として生かせるように頑張ろう。
次は一介の珈琲屋の長として、
このパナマはボケテの地に降り立ってみせよう。
3年後だ。目標に向かって歩いて行こう。


黄金の道、カミノ・デ・クルセスの入り口へ。



中米世界に横たわる闇の歴史のこと。
珈琲を扱うには、珈琲以外に学ぶことが山ほどある。




スペインが1519年に太平洋に最初に築いた植民都市の廃墟。
1671年にイギリスの海賊ヘンリー・モーガンにより侵攻され、廃墟となる。
…先に侵略された先住民の歴史はどこに残っているのだろうか。



我々も暢気に常夏の陽気に浸る。
東京では大雪が降ったとのことだった。

贅沢なフランス料理とパナマビールで乾杯。
後半戦に向けて、もう一度ふんどしを締め上げる。
明日にはパナマを出て、エルサルバドルへ向かう。
グアテマラ、パナマ以上にどんな国かまるで想像が出来ない。
内戦が続いてきたことぐらいだ、知っているのは。
時折、日本の寂しい現状が身に迫るこの旅路。
いずれ本当に産地が単独で栄える日は来る。
シビアでリアルな未来に自分が出来ることは何だろう。
‘ゲイシャ’という日本人には馴染みのある響きから、
名前くらいは聞いたことがある人がいるかもしれない。
「ゲイシャ?飲んだことあるよ。」
なんて人は珈琲通に一目置かれること間違いない。
珈琲豆にはティピカ、ブルボン、マラジゴッぺ等々、
様々な特性のある品種が数多くあるのだが、
その中でも特に栽培が難しく、少量しか生産できず、
そのため幻の珈琲豆として非常に貴重で名高いのが、
エチオピア起源の非常に珍しい野生品種、
‘ゲイシャ’なのである。
‘ゲイシャ’はその栽培の難しさから、商売として成立しないとして、
沢山の農園がその栽培を諦め、他の品種への植え替えを行ってきた。
そんな中、隣国コスタリカの珈琲研究所から豆を譲り受けたドンパチさんは、
30年もの間試行錯誤を続け、ある特定のエリアで取れる‘ゲイシャ’が、
他とは全く違い、素晴らしい特性を持つことに気付いたのである。
事実、自分はカフェバッハにて勧められ、飲んだ時の衝撃は忘れられない。
珈琲の味でありながら、フルーティな香りに、芳醇な甘さ、深いコク。
まだまだ何にも分からない自分でも、
「あっ、いい珈琲って本当に果実の味がするんだ!甘いんだ!!」
とがぜん珈琲にのめり込んで行くきっかけとなった。
そんな‘ドンパチ・ゲイシャ’を作った農園主、ドンパチさん。
自分でも当日になるまで気付かぬくらい興奮していた模様。
朝、これまた著名なカッパーさん(真ん中)と合流し、
共にドンパチ農園に行くことに。



この人が‘ドンパチさん’ことフランシスコ・セラシン・シニアさんで、
昨夜運転してくれたのがその息子、フランシスコ・セラシン・ジュニアさん、
現在の農園主。ドンパチさん可愛らし過ぎる!!!!
田口先生とは同い年の74歳。
2人が出会い頭に抱き合う姿は感動的だった。
尊敬し合い、お互いがお互いを支え合うアミーゴ同士といった感じで。

田口先生からの助言、助力を得て建立したとのこと。
ロゴデザインはジュニアさんの奥様。超素晴らしい。



そのすぐ後に、農園内に向かおうとする皆に対して、
「この看板の前で、皆さんに話したいことがある。聞いて下さい。」
とドンパチさん。神妙な面持ちだ。




と、ドンパチさんは語り始め、
それはマヤ民族の出身だった曾祖母が、
この農園に初めて珈琲の木を植えた年なのだが、
苦労に次ぐ苦労に耐えて、珈琲を栽培し農園を維持し、
それを自分が四代目として継承し、五代目を息子にしかと託したという、
一族の歴史をいかに大事にし、また、感謝しているかを伝えたものだった。
純粋な人に、誰しもが感動するように、自分も涙した。



その人の深い想いを知る田口先生だからこそ、
あそこまでの珈琲に仕立て上げることが出来る。
あの衝撃的な珈琲の秘密に一歩近づけた気持ちがした。



‘田口ロード’と呼ばれる小道を行く。
この道が出来たことで農園を訪れる人全てが、
ドンパチ農園の珈琲豆の詳細を見て歩くことが出来る。
田口先生は正しい珈琲を提唱することはもちろん、
いかにそれをアピールし、興味を持ってもらい、
商売に繋げていくか、に重きを置いている。
それは商売相手の農園に対しても徹底していた。





特にゲイシャは他の品種より大きく横に長い。
食べて良いということで緊張しながらも摘んで噛んでみる。
今まで食べた実より確かに甘く、さわやかな酸味があった。
しかしこの急斜面。
この急斜面にこそドンパチ・ゲイシャの秘密があるのだが、
ピッキングして歩くのはとても大変だろうなあ、とその苦労に頭が下がる。
そんなドンパチさんの素晴らしい笑顔に、とっても癒されていた相方さん。




この小さな部屋で、世界一の珈琲ゲイシャが審査され、
一躍脚光を浴びたかと思うととても不思議な気分だ。
そんな場所でまさかドンパチ農園の各種サンプルをカッピング出来るとは。
(後に、この部屋ではなく、この下の部屋でベスト・オブ・パナマが開催されたと発覚。勘違いしておりました。失礼致しました。)



ここで大切に育てられて来た珈琲豆の最終評価が決定してしまうと思うと、
初心者の自分でさえ真剣勝負の装いで、えらく興奮しえらく疲れる。
今後焙煎をしていくに当たっても、このカッピングが重要となる。
カッピングが出来ないままでは、
毎回味が変化しても気付かない恐ろしさがあるからだ。
最高の珈琲豆を、最高級の焙煎機で、うまく焙煎しても、
カッピングもしっかり出来ないマスターでは、その味を継続することは出来ない。
最近やっとカッピングの楽しさが分かってきた気がする。
今年一年どんどんカッピングして味覚を向上させていこうと思う。
珈琲の味を的確に表現し、お客さんとコミュニケーション出来るようになれたら、
それは本当にとっても素敵なことだろう。
カッピングの後は、精製工場(ミル)へ。





カッピングが出来るようにするらしい。素晴らしいアイデアだ。
これによってさらにドンパチ農園の格が上がるのは間違いない。
今や生産国がここまでのアピールが出来るようになっている。
珈琲豆輸入量第3位の日本は今後何を武器に珈琲を扱っていくつもりだろうか。
人の手が隅々まで届く範囲のとっても綺麗で丁寧な工場だった。



うまく乾燥させないとすぐに腐ったり、異臭を発してしまう。
本当に細やかな気配りと、手仕事を必要とする仕事だ。
そして、そんな所がさらなる愛着を感じさせてしまうわけだ。
ゆえに生豆を持つ珈琲関係者は自然と笑顔になってしまう。
珈琲って本当に不思議で可愛らしい生き物だ。
昼食後、予定時間が押し押しながらも、
もう一つの農園、ベルリナ農園へご挨拶に。



ベスト・オブ・パナマ3年連続1位入賞の、
名門ベルリナ農園の農園主のドン・プリニオさんは、
おじいちゃん好きの相方が写真を撮りに行くなり、
「わしの腕を握ってごらん。」とのジェスチャー。
相方曰く、岩のように硬かったとのこと。
自分も便乗して写真を一緒に撮って貰う。
これでまた一つ珈琲の神様が乗り移っただろう。
とってもチャーミングで粋なおじいちゃんだった。
農園には明日向かうことになり、今日の所は先に精製工場(ミル)へ。


病気になってしまった木も多いという。
それについてはまた研究しなければならないとおっしゃっていた。



珈琲について語る時の眼光はとても鋭く、
しかし実際に珈琲豆に触っている時はとても可愛らしい。
珈琲を愛しているのがよく分かる、
お父さん同様にとてもチャーミングな方だった。
(そしてその人柄はその珈琲に端的に表れていた。詳細はまた後日。)

詳しいことは省くが、
珈琲の世界に身を投じるならばスペイン語は必修だなと痛感。
まさかここまで沢山の方々とお話しする機会に恵まれると思っていなかった
とはいえ、感謝の気持ちをズラズラ言葉で細かく伝えたいのに、
‘グラシアス(ありがとう)’しか言えない自分の歯がゆさったらなかった。
(つか、グラマラスな美人が多いしな~。常夏最高でございました。笑)
しかし、とんでもない出会いの連続だ。
関わる人たちの珈琲に対する愛情の深さ、
熱意、頭の良さに、驚きを隠しきれなかった。
珈琲は飲み物としても大変に多種多様で複雑なのだが、
珈琲豆それ自体をつくるのがこんなにまで難しいとは思わなかった。
ここまで熱心に珈琲を愛する人たちが日本にどれだけいるだろうか。
必ずや未来では産地の方々に遅れを取ることだろう。気合の入り方が違う。
カフェバッハに学べばこそ、生き残れる可能性も多少はあるが、
世界を視野に頑張って行かなければならない気が凄いする。
まずは少しでもスペイン語を学んでいこう。
夏にドンパチさん達が来日する時には片言でも話せるといいな。
片言でも通じ合える気がする、それが旅の醍醐味だとも思った。
旅人のような人生になるといいな。
愛しきグアテマラを出国しパナマへ。
パナマ・シティのホテルにスーツケースを預け、
二泊分だけ携えボケテへ国内線飛行機で向かう。
高原、山岳リゾートで有名な小さな町、ボケテには、
ワールドオークション最高値!!世界一の珈琲として名高い、
かの‘パナマゲイシャ’の父である、ドンパチさんの農園があるのだ。



通訳のカネギさんお勧めの店にて、パナマ料理をガブリと食す。
(これぞ本番のパナマ料理、写真はまた後日。)
この旅、食事は問題なく美味く、睡眠不足さえなければ、
きっと全てのアメリカンサイズを食い散らかしていたはずだ。
スパイシーな香辛料が沢山使われており、体にも消化にも良いのだ。
果物も豊富で素晴らしい。
その後、パナマ運河を見に行った。










さてパナマ入り初日。
その実、色んな部分で消耗して来ており、
何せ平均4、5時間程度の睡眠しか取れない、
ハードスケジュールなのが一番の原因だが、
(グループの誰もが疲れを隠せない感じであった。)
珈琲に対する知識などに興味津々な俺は、
その都度発奮して乗り切ることが出来るのだが、
相方はより感覚的で繊細な女性なわけで、
見ている限り普段の5倍は気を使って楽しく、
元気溌剌なていでやってくれているが、
ちょっとストレス過多になりつつあった。



このナイスガイがまさか……。


ボケテは高原、山岳地帯で標高も高く涼しいのだが、
パナマ・シティは暑く、水が欲しくても言葉不明のため買いに行きにくく、
多少脱水症状的なダルさが身にまとわりついていた。
本当に日本だけなんだな、
あんなにどこでも自動販売機があるのは。
中米じゃあ販売機ごと根こそぎ持って行かれるだろうから。



グアテマラの農園だけでもお腹一杯だった、我ら一行。
この先々に続くクライマックスの襲来を誰が予想しただろうか。
※追記